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受験で成功することが必ずしも社会での成功を意味しない理由。~受験と芸術~【復刻記事part4】

 

おはようございます、
こんにちは、こんばんは。

 

たろーです。

 

※僕が19~20歳の時に書いた記事シリーズをリメイクしてお届けする企画part4

 

familiano22.hatenablog.com

 

さて、今日は
受験とアート(芸術)」について。

 

まぁ、あくまで僕の
個人的な意見をつらつらと
書き綴っていきたい。

 

さて、受験と芸術と聞いたら、
あなたはどんなことを
思い浮かべるだろう。

 

 

僕は、真反対だなぁ、
と純粋に思っている。

 

受験においては、
僕らは「正解を探す」という
ゲームをしている。

 

 

そしてそれを点数化して、
相対化して、順位をつけて、
合理的に優秀な人材を選ぶのだ。

 

 

正解は
出題者」が握っている。

 

芸術はその正反対だ。

 

正解なんてない」というのが
芸術の基本的な姿勢である。

 

この二つをこの記事では
「正解思考」「芸術思考」
というふうに区別して、
お話を進めていきたいと思う🧸

 

 

さて、令和現在の受験制度は
どんな人間を選ぶための
合理的制度なのだろうか。

 

 

それはすごく簡単に言えば、

我慢強く、淡々と
   やるべきことに努力できて、
   限られた時間で正解を探す

という感じになる。

 

これは、重工業化によって
発展していた日本に適する人材を
育成する上では最高のシステムだった。

 

 

✔︎上司の言うことを聞く
✔︎やれと言われたことを黙ってやる
✔︎多少の無理は受け入れて働く
✔︎みんなが歯車となって働く

 

 

こういうような
人材育成のための仕組みなのだ。

 

ちなみに「上の立場の人にこびる
発想は勝手に生まれたものではなく、
孔子儒教の影響を大きく受けている。

 

 

あなたがもし「年上にはヘコヘコ
ということをしているなら、

 

あなたは儒教によって
生み出された(もしくは影響された)
価値観の中で生きていることになる。

 

 

⬇︎参考までに

familiano22.hatenablog.com

 

 

大丈夫、
日本社会はそういう場所だ。

 

 

まぁ、要するに、

 

「支配者にとって便利で
   都合の良い思考停止の歯車人間」

 

を量産する制度とも言える訳だ。
  (尖った表現でスミマセン)

 

 

歯車」化しつつある
僕らについてはまたどこかで触れよう。

 

 

過去は労働集約型というモデルで、
狭い土地に大量の労働力を詰め込んで
労働生産性を高めて、利益を出して、
日本は成長の波に乗っていった。

 

 

そしてその当時から、
時代は色々と変化した。

 

例えば、少し難しい話になるが
僕たちは少しずつ「便利なもの
から離れつつある。

 

 

あくまで少しずつだし、
部分的にだが。

 

 

便利なものにお金を払い、
生活が豊かに、効率的になる一方
そうじゃないもの」にも
回帰していく現象が起きる。

 

無駄なこと」だ。

 

 

YouTubeで初期の方に
しょうもなw」と笑えるような動画が
人気だったことはまさに
効率的すぎる世界」への反動だろう。

 

 

人はよくよく考えたら、
結構無駄なことが大好きだ。

 

便利とか効率とか損得勘定で
色々と考えている割には、
非合理」な面が存在している。

 

 

例えば、
バーベキューなんかは
わかりやすい。

 

お金を出して、自ら労働して
楽しい」時間を過ごしている。

 

 

自分でお金を出して、
自分で働くって…カオスである。

 

 

でも、これこそ、
人の非合理性だ。

 

(もはや、普通だと思ってるとおもうけど)

 

普段は仕事や勉強でできるだけ
生産性」「効率」を追い求め、
普段は思いっきり「非生産的」で
非効率」なことをやるのだ。

 

僕がディズニーに費やすエネルギーも
かなり非合理的だと思う。

 

まぁ、人にはそういう
非合理的な面が存在する。

 

 

行動経済学という学問でも
様々な人間の非合理性が
解明されている。

 

 

例えば…

 

このチョコ200円だよ」と言われ
やっぱ100円」と言われたら買うのに
このチョコ50円だよ」と言われて、
100円で」と言われたら買わない。

 

これもだいぶ不思議だ。

 

500円の牛丼を我慢して、
400円の牛丼を選ぶ
みたいなことはするのに、

 

600万円かかる大学なのか
400万円かかる大学なのかは
あまり慎重に考えない。

 

 

不合理極まりない。

 

 

でも、不合理性こそが人間なので
合理化に全振りする受験というのは
僕らにとってストレスになる。

 

 

さて、
ここからはメンタルが弱い人や
完璧主義な人、自分に自信がない人
などは必見の内容だ。

 

 

このような何かしらの精神的な問題を
抱えがちな人は、基本的に自己評価の
最大権限を「他人」に与えている人だ。

 

 

他人が自分をどう評価するか、
他人が自分をどう見るか、
他人に自分は認めてもらえるか、

 

ということを重視するが故に
劣等感、自信喪失、自己肯定感の
欠如などが起きる。

 

 

さて、このような思考は、
実は「正解思考」にルーツがある。

 

 

なぜなら正解探しとは必ず
出題者」という他人を
必要とするからだ。

 

 

学校教育で徹底的に刷り込まれてきた
正解思考」により、僕らは自然と、
他人を中心軸として物事を考え、
行動するようになっている。

 

デフォルトの設定がそうなのだ。

 

 

そしてこれが悲劇の始まりなのだ。

 

 

なぜなら
「他人」はコントロール不可能
だからだ。

 

自分が何をしようとも、
他人は基本的には変わらない。

 

 

少なくとも、
自分の意のままに他人を操れる
という発想は危険だ。

 

不可能だからだ。

 

(洗脳すればいけるかも!(白目))

 

 

自分がコントロールできないものを
コントロールできると思って、
生きていくこと自体が
悲劇の始まりだ。

 

つまり、他人に依存しない思考方法を
自分の中に設定し直さない限り、
正解思考から抜け出て、
頭を冷やすことができないのだ。

 

 

そこに救いの手を
差し伸べてくれるものこそが、
芸術思考」だと僕は考えている。

 

 

復習しておくと、
芸術思考の基本的な姿勢は

「正解はない」だ。

 

しかし、ここで問題がある。

 

 

芸術に対して、正解思考で臨む事で
僕たちは芸術が「つまらない」と
感じてしまっているということだ。

 

芸術には、最低限
芸術思考」で挑む必要が
あるのにもかかわらず…。

 

正解思考で芸術に
挑んでしまう人の象徴的な行動が、

 

絵画の
    解説を調べる

 

という行動だ。

 

完全に他人軸だ。

 

他人の意見を
参考にしたいだけで…😓

 

と反論したい人もいるだろうが、
頭ではそう思っていても、無意識的に
正解思考」におかされているが故の
行動には変わりない。

 

他にも

 

✔︎この作者は
    どんな意図を込めて作ったのかな

✔︎この絵画には
    どんな思いが込められているのか

✔︎ここにりんごがある意味とは

 

みたいなものは、
正解思考から来る発想だ。

 

もちろん、
こういう楽しみ方を否定したい
というわけではない。

 

それはそれで楽しめたり
納得したり、驚いたり、
学びになったりする。

 

しかし、これは
芸術思考ではない。

 

芸術思考ではなく、
正解思考を使った芸術の楽しみ方
に過ぎないのです。

 

じゃあ、芸術思考による楽しみ方は
どんなものなのか、岡本太郎さんの
言葉から探っていこう。

 

(芸術は)
うまくあってはならない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない。

 

 

また他の方の
芸術に関する評論では、

 

芸術とは感じること

 

というふうに記述されていた。

 

これだ。

 

あなたの中で答えを見出す。

 

これが芸術なのだ。

 

(これが芸術だ!という断言すらしたくないけれど、あえてグッと堪えて言い切ってみる)

 

目の前に一つの絵画がある。

 

それを見て、眺めて、見つめて、
没頭しているうちに、心の奥底から
何か熱いものが湧き上がっていて、
気がついたら涙がこぼれ落ちていた。

 

 

もしくは、
なんだこれ気持ちわる」とか
え、汚いなぁ」とか。

 

 

自分が感じたこと。

 

 

それが全てであり、
絶対なのだ。

 

 

僕たちは幼少期から、
正解思考にどっぷりと
浸かって生きてきた。

 

 

だからこそ、
すぐ正解を求めてしまう。

 

 

もはや、正解を求めたい
と自分が思っているのか、

 

正解が欲しいと思っていると
思い込んでいるだけなのかすら
よくわからない。

 

 

 

しかし、僕は芸術というのは、
人にとって絶対に欠かせないと思う。

 

13歳からのアート思考
という本があるので
ぜひ読んでみてほしい。

 

いろいろな具体例とともに
紹介されている。

 

 

youtu.be

 

 

芸術思考は
実に幅広いものだ。

 

例えば、

 

横断歩道の白いところ
   だけを踏んで歩こう!!
   先に落ちた方が負け!!

 

とかいう
謎のゲームをするとする。

 

僕はこれが
芸術思考だなぁ」と思う。

 

 

人は大人になればなるほど、
歳のせいで

 

こういう無駄を
   楽しめなくなる
」のではなく

 

正解思考を
    植え付けられることで
   楽しめなくなる

 

のではないかとも思う。

 

受験をやっていると、
本当に今の自分がやりたいことが
分からなくなる、という現象が起きる。

 

これへの答えは
非常にシンプルだ。

 

 

自分のやりたいことは何か、
という問いに正解はないから

 

に尽きる。

 

野球ボールでサッカーするくらい
よくわからないことをやって、
無理とか言って嘆いているのだ。

 

芸術思考で対処しなければならない
答えのない問い」に、

 

他人が与えてくれた正解を前提とする
正解思考」で向き合おうとする。

 

 

矛盾だ。

 

だから、困るのだ。

 

とはいえ、
受験という制度がなくなるとも、
当分は考えられない。

 

となると、
受験はやるしかない。

 

その一方で、
芸術思考を持っているかいないかは
大きく異なる気がしている。

 

 

僕が受験期に
ディズニーに通っていたのは、
芸術思考的な発想なんだと思う。

今思えば。

 

 

でも、人間には非合理的な側面があり、
芸術思考を持たない人は、
合理化され過ぎたこの世界では
すごく生きづらいことになる。

 

そんなあなたを救うのは、
芸術志向かもしれない。

 

正解の呪縛から抜け出す
きっかけになれば幸いだ。

 

youtu.be

 

 

正解の呪縛なども含む「架空の思い込み」から抜け出して幸せになりたい人にめちゃくちゃ教えたいニーチェという人がいるので、興味がある方は暗い一人だけの部屋でイヤホンして集中して1時間本気で見てみて!

 

 

この記事で話しているような「芸術」という言葉のより奥深い世界や、いろいろな言葉を深く知りたい方はこの記事も読んでみて🙆‍♀️

note.com

 

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次回の記事 第5弾は、、、

 

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