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いい人だと思ってたのに…実はクズだったみたいなことを防ぐために人を見抜くコツ【復刻記事part11】

 

おはようございます、
こんにちは、こんばんは。

 

たろーです。

 

※僕が19~20歳の時に書いた記事シリーズをリメイクしてお届けする企画part11

 

このシリーズの前回記事

familiano22.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

さて、今回は

「本物の実力者と
本物っぽい皮を被った
ニセモノの区別の仕方」

をお話ししていきたい。

 

まぁ、そんな言い方をしたら
たいそうなことのように聞こえるが、
もう少しフランクに言えば、

 

人間性を図る上で
この上ない指標だなと
僕が信頼しているものを
特別にシェアしたいと思う。

 

普段生活を送っていると、やはり、

 

✔︎こいつやばいやつやん…
✔︎えぐいて…この人しんど…
✔︎いい人そうだけどなんか引っかかるなぁ…

 

みたいな経験ってあると思う。

 

人として信頼できる人は、
どうやったら見抜けるのだろうか。

 

どういう人は
「関わるとまずい」のだろうか。

 

正直、関わる人、
というのはある程度は、
人による相性」みたいなものが存在する。

 

そういう話をしても仕方がないので、
ここでは、より普遍性が高いものに絞る。

 

だから今回紹介したいのは、
ほとんどの人にとって関わるだけで
人間関係、精神、時間を
摩耗することになりかねない

 

厄介な人かどうかを
見抜く方法だ。

 

どんな場面で使えるかと言えば、

 

✔︎この人はある程度は
   信頼できるのかを知りたい時
✔︎この人と付き合って
   長く幸せになれるのかを知りたい時
✔︎一緒に何かをする上で
   うまくいきやすい人か知りたい時

 

などだ。

 

ただ、今回紹介する方法を
実際にやってみると、多くの人について
関わるとまずい人」という診断結果が
出てしまうかもしれない。

 

で、問題なのは、
そういう結果だからといって、
関わるのをやめよう、という
短絡的な判断に陥ることなく、

 

「こういう場面では
   こういう行動をする人なんだ」
ということを知るだけでもいい。

 

もしかしたら、というか、
ほとんどの確率で、あなた自身も
おそらく関わるとまずい人になると思う。

 

ただそれは仕方がない。

 

僕らは永遠に未熟なので。

 

じゃあ、何が問題なのか。

 

養老孟司先生が
バカの壁』という著書でも
述べていることですが、

 

最も厄介なバカは
自分がバカだとは
思っていない無自覚なバカ」だ。

 

要するに、
未熟であることを認めず、
受け入れず、という姿勢を
貫く人が厄介な人なのだ。

 

ソクラテス
かの有名な名言を残している。

 

無知の知

 

※現在は、「不知の自覚」という
表現の方が適切ということになりつつある

 

要するに、学ぶ前に、
まずは自分は不知であると
自覚できたものだけが
ものを学べるということだ。

 

学びにとって最も恐ろしい状況は、

「自分は知っている」

とおごりたかぶっている状態なのだ。

 

これは僕自身も
書くたびに毎回ドキっとする。

 

「まだまだ何も知らない」

 

と認め、受け入れることができているか、
という問いはいつも考えなければならない
と僕は考えている。

 

ちょっと色々逸れたが、
「自分はすごい器の大きい人間だ」
と思い込んでいる「器の小さい人間」
1番厄介だということだ。

 

こういうことを踏まえた上で、
実際に使っている判別方法の話をしていく。

 

それは、

カオス状態を意図的に作る

だ。

 

もう少し言うと、

理不尽な状況をぶつける

ということ。

 

この辺でその人の
器の大きさが見える。

 

俗っぽく言えば、
「実力者かどうか」が大体見える。

 

この方法は、本当に強い。

 

本当に人間性と器が
はっきりくっきりと明確に
浮き彫りになる。

 

レストランの店員のミスに
キレる彼氏と付き合うのはやめておけ!
みたいなのがあるが、
これはまさに真理だといえる。

 

こういう人にキレてしまうのは、
要するに「自分にとって
都合が悪いことを怒りでねじ伏せよう
というような人間性の現れだ。

 

怒りというのは、
人間が他人を説得するために使う道具の中で
最も簡単で動物的なものと言われている。

 

裏を返せば、
怒ることしかできないんだ、
ということになる。

 

僕はよくここを
注意してみるようにしている。

 

逆にいうと、僕の中では
理不尽な状況に対して、
余裕のある対応をしている人は魅力的で
長く関わっていきたいな、と感じる。

 

ただ、理不尽な状況に対して、
余裕のない反応を見せる人は、
全く悪くない。

 

たまたまストレスが溜まっていたり、
どうしても頭に血が昇りやすかったり
「あぁ?許せねえだろ!!」という
キレる前提で生きている人もたくさんいる。

 

シンプルに、
余裕のある対応ができてしまう人が
凄すぎるのだ。

 

じゃあ、何がすごいのか。

 

自分の無理にならない範囲で
他人の立場に立てること

 

これに尽きる。

 

 

中途半端に器が小さい人が、
これをやろうとしても
ストレスが溜まって、

 

ますます自分を
追い詰めるだけなのだが、
これはあることを理解できていない。

 

理不尽に対して
何をしても意味がない

 

という事実を
理解できていない。

 

もちろん、頭で分かっていてもなぁ、
やっぱりイラつくんだよなぁ、
というのが僕ら人間だ。

 

しかし、もう体験的にこのことを理解し
苦もなく理不尽を受け入れる人もいる。

 

 

理不尽な出来事というのは、
文字通り理不尽なので、
自分が被害を受けなければならない理由も
特にないような出来事だ。

 

となると、平たく言えば、

 

✔︎(故意的な)犯人はいない
✔︎犯人を追及しても意味がない

 

この2つのどちらかの条件を
満たすことになる。

 

となったときに、
理不尽に対してキレているひとは、

 

自分の個人的な感情で他人に
不愉快な思いをさせているという自覚

 

がないということになります。

 

要するに、極めて
「自分が自分が」という判断軸で
生きているのであって、

 

これはすごく人間らしい一方、
身近な人を無自覚的に疲れさせ、
傷つけ、嫌な思いをさせることに繋がる。

 

他人の気持ちを推し量るというのは、
大事な一方で、それしかできないと、
自分がどんどんと犠牲になってしまう。

 

だから、人間性の成長として、

 

①自分を満足させる
②他人を満足させる

 

この順番を経なければならない。

 

自分の機嫌も取れないのに、
他人の機嫌を取ろうとしては、
絶対にいけない。

 

ということで、じゃあ、
具体的にどうやってカオス状況を作るのか、
チェックするのかの例を挙げていく。

 

この例を見て、そういう感じね、
と理解してもらえればいいと思う。

 

✔︎コップの中の
   コーヒーをこぼしてしまったとき

✔︎店員さんが
    注文を聞き間違えて違う料理が来たとき

✔︎知らない人と肩がぶつかったとき
✔︎財布を落としてしまったとき
✔︎突然宿題がたくさん出されたとき
✔︎家族にストレスをぶつけられたとき
✔︎ネット通販で詐欺されたとき
  (かかったものは仕方がないので
    できる対処はしてください。
    詐欺を肯定する意図はないです。)
✔︎部活の大会で
   天候のせいで調子が出ないとき

 

まぁこんな感じだ。

 

こういう出来事にぶつかったときに
その人がどんな対応をするのか。

 

ここに如実に人間性が現れる。

 

ここまで読んで、
よし、私は
  こうはならないように意識するぞ!
  大人な対応をするんだ!
と意気込んだあなたに最後に一言。

 

ほぼ確実に無理だと思うので、
諦めることをオススメする。

 

人は思い入れが強いものにほど、
強い執着を示すので、
理不尽によって損害を被ったとき、
どうしても感情が動いてしまう。

 

では、こういうときに、
余裕のある対応をできる人は、
何者かと言えば、実力者だ。

 

社会的な。精神的な。経済的な。

 

実力者だ。

(実力があっても厳しい人はいる)

 

例えば、何か大事なものを失いました、
経済的な余裕があれば、また買おうとか
またその思い出を作りに行こう、
ということになります。

 

まぁ、そうなっても、
また代わりのもので補えばいい、
という発想が出るのは、実力の証だ。

 

単純にお金を持っているか否か、
みたいな話ではなく、例えば、

 

「家が全焼した」
          ↓
「すべてを失った」
          ↓
「でもここから会社を立ててまた仲間とやり直す“実力”を持っていればなんとかしようという発想になる」

 

実力が不足していて打つ手なしの場合は、
「嘆く」「後悔する」「キレる」他はない。

 

実力者からすると、
キレても何も変わらないので、
早めに手を打つので、
キレる暇もあまりないのだ。

 

こういう構造的な問題もあるので
社会人になって、実力がつくまでは
なかなか難しいとも思える。

 

それに、この世に一つしかない
大切なものを失ったりする理不尽に
人間はおそらく太刀打ちできない。

 

確かに、この記事で書いたことは
理想論としてはあると思っていますが、
そう簡単にはいかないのが僕らだ。

 

辛い時はとことん感情を出す。

 

やはりこれも大切なんだと思う。

 

 

 

 

 

次回の記事 第12は、、、

coming soon