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なぜ恋が「実らない」人が増えたのか?【復刻記事part9】

 

おはようございます、
こんにちは、こんばんは。

 

たろーです。

 

※僕が19~20歳の時に書いた記事シリーズをリメイクしてお届けする企画part9

 

familiano22.hatenablog.com

 

 

 

僕はちょっと前から、
「恋愛心理学」「恋愛工学」
なるものになんだかんだ
すごく違和感があった。

 

 

恋愛心理学っていうのは、
こういうときはこうしたらいい!
みたいな知識の総称だと思ってほしい。

 

恋愛工学というのは、
多分男性向けで、
女性は本能的に
こういうのに惹かれるから、

 

こういうことを
機械的」にやっていけば、
自ずと女性経験を増やせますよ、
という感じの物。

 

ポイントは、機械的なこと。

 

機械的に行動を続けていけば、
女性の中で特別な存在になれるよ
みたいなやつなのだ。

 

 

恋愛工学の登場は

 

「幸せとは何か」

「僕らの恋愛も動物的で
   本能にプログラムされた通りに
   動いているに過ぎないのではないか」

 

という難問を
僕らに突きつけてくる。

 

僕は一通り
こういうのを昔学んだが、
知らない方が楽しそうだな、

 

と思ったので恋愛をするときは
全くこう言った小手先のテクニックは
使わないようにしている。

 

モテない男子、もしくは、
いい男と幸せになりたい女性には、
一度学んでみることをお勧めしたい。

 

 

そして、ずっとこの違和感の
正体が分からずにいた。

 

 

しかし、最近おぼろげに
この違和感の正体がわかってきたので、
これについて語ってみようと思う。

 

 

僕らは恋愛をして、
自由にパートナーを選び、結婚し、
不倫する人もいれば、しない人もいて
歳をとって死んでいく。

 

まぁ、恋愛なんてありえない、
全部家が決める!!というような
時代もあったが。

 

 

さてさて、恋愛をするとなると、
(これはホモ=サピエンスの能力だが)
情報交換を行う。

 

「こうやったらうまく行ったよ」

 

「こうやったら
  怒らせるからやめといた方がいいよ」

 

というような恋愛相談だ。

 

これは、男性でも女性でも
しているはずなので、
ここまでは誰も反論はないだろう。

 

こういったものを、
とにかくありとあらゆる状況で試し、
最も再現性の高い結果を集めたのが、
恋愛心理学なのだ。

 

要するに、恋愛心理学の前では、
僕らは指示通りに動くだけの
ロボット」状態なのだ。

 

夜は夜景の見えるレストラン
もおそらく恋愛心理学的に良いのだろうが
これもいってしまえば恋愛心理学の
いうとおり」に動いているだけの話だ。

 

 

挙げ句の果てには、
「デート中何の話をすればいいですか?」
とかいう恋愛相談まで僕のもとにくるが、
いよいよ本格的にロボットに近づいている。

 

初めてこんな相談を受けた時、
何の話をするのか、という自由すらも、
手放してしまうのか!!!と衝撃を受けた。

 

恋愛心理学を知らなかった僕たちは、
いわば我流でエスコートしたり、
女性に接したり、会話したり、
恋愛を楽しんでいた。

 

それがいつしか、
こういう状況になったらアレをして、
こんなときはこういう風に言って、
ここではこれが無難で、、、、

 

というような機械的な恋愛を
するようになったのかもしれない。

知らんけど。

 

 

まぁ、そもそも論として、
僕らはスポーツでも、勉強でも、仕事でも

 

こういう状況になったらアレをして、
こんなときはこういう風に言って、
ここではこれが無難で、、、、

 

という風に上達していく。

 

恋愛心理学はまだいい方だ。

 

恋愛工学は
ますますロボット化が顕著になる。

 

そもそもとして、
効率よく女性を手に入れよう
というのが恋愛工学の狙いなので、

 

この時点でもう
自分の意志の存在が
危ういことになっている。

 

恋愛工学の基本理論は、

「ヒット数」×「ヒット率」
                  =「結果

という感じだ。

 

 

要するに、
個人がどうとかどうでもよくて、
数打って、統計的に確率が上がること
全部やって、数とヒット率を上げよう。

そしたら、絶対モテるから。

 

っていう感じなのだ。

 

この時点で気持ちが悪い
と思った女性の方すみません。

 

(ちなみにこの世にいる
ナンパをしている人の多くは
この理論を根拠としている、

 

なんかモテないという
強いコンプレックスがある感じ)

 

さて、僕はこの2つを知った時点で
まだ違和感の正体がわからなかった。

 

しかし、ここで
記号」に関する知識を得た時、
スッと納得できた。

 

まさに霧が晴れたと
言ってもいいかもしれない。

 

日常で抱く違和感や疑問を
解決してくれるので、
やっぱり学ぶことはやめられないなぁ…

 

記号とは何かを簡単に説明すると、

意味を伝達するしるし

とかいえばわかりやすいかもしれない。

 

言葉というのは典型的な記号だ。

 

例えば僕らは

🍎

をみたら、これに「りんご」という
記号」を貼り付けている。

 

そして、あなたに
りんご」という風にいえば、
あなたは頭の中で

🍎

を思い浮かべるだろう。

 

でも、「りんご」という記号は
あくまで記号なので、あなたがもし
青リンゴの特産地で育ったならば、

🍏

という絵を
思い浮かべるかもしれない。

 

 

まぁ、この説明で
納得できるかはわからないが、
記号の大切なポイントは
捨象」にあるといえる。

 

発信側と受信側が同じ記号を見ても、
その記号から見出す意味は違ったり、
そもそも僕らが感じ取った細かい感情を
記号に100%載せることも不可能なのだ。

 

記号の話は難しいので、
より知りたい方はこちらを
買って読んで見てほしい。

かなり現代文評論に役に立つ。

 

note.com

 

 

さて、となると当然、
SNSなどでやりとりをするときも、
どんどんコミュニケーション内容が
典型化していく。

 

ましてや、LINEでの会話なんて、
ほとんど種類がない。

 

LINEのやりとりがシンプル過ぎて、
もはや、誰が書いたメッセージなのかを隠すと
ほとんどのメッセージが「誰が書いたのか
全く分からないのだ。

 

ほとんど、入れ替え可能な
機械的コミュニケーションしか
行われていないとも言えるのだ。

 

 

こないだ女子高生から
変な男からDMで口説かれます、
みたいな相談が来て、

内容を全部見せてもらったら、
本当にテンプレすぎて笑ってしまった。

 

  • 初めまして
    • 初めまして
  • かわいいですね
    • ありがとうございます
      そんなことないですよー
  • 電話しよ?
    • 今ちょっと厳しいです
  • 会いたいな
    • 忙しいので…

 

そのあとはちょっとここで
載せる感じではないのだが、
まぁ急に暴言言われたり、
セクハラ画像を送ってきたり。

 

機械と同じじゃん、って感じなのだ。

 

で、中高生のSNSを見せてもらうと、
やはり、自動返信的なやりとりが
ほとんどになっている。

 

これは、「主体性の没落」というやつだ。

 

社会学者マックス=ウェーバーは、
合理的になればなるほど「主体性」を失う、
というようなことを言っている。

 

要するに、
人間として生きているかも分からない、
主体性のない存在に近づいてしまう
ということだ。

 

最近、ようやく
SNS離れが定着してきた気がする。

 

社会学的にいえば、SNS
時間の無駄」だということが
ちょっとずつ多くの人にわかってきたのが
2020年現在だと思う。(やめられないけれど)

 

なぜなら、SNSでフォロワーが増える、
とか、いいねをもらう、とかいうことは、
自分という存在を積極的に

 

入れ替え可能な物

 

にしてしまう行為だと
気づいている人が増えているからだ。

 

女の子20人くらいとLINEしてるぜぇ
みたいな自慢をしてくる人がいますが、
これも没主体性への一歩を歩んでいる。

 

だって、多くの女子とLINEしたところで、
何か意味があるのか、という話だからだ。

 

それで見栄を張って、
何があるのだろうか。

 

これをすればするだけ、
どんどん自分の首を絞めて、
周りから敬遠されていく。
(かもしれない)

 

大事なことは、結局、

 

自分にとって
大事な人と繋がれば
それでよくない?

 

ということ。

 

いやぁ、でもまさか、
こんなところに、僕らを苦しめる原因が
眠っているとは思いもしなかった。

 

SNSや、合理化が、
ますます僕らを苦しめ、不安にさせ、
虚無にさせ、没主体化させている。

 

合理化が没主体化を促すことについて、
わかりやすく喩えてみよう。

 

例えば、あなたが
東京大学」に受かったとします。

 

合格理由は、2次試験で
合格最低点を超えたこと、だけだ。

 

これはかなり
合理化された制度になる。

 

しかし、
こんな疑問も湧くだろう。

 

あれ?てことは、
点数を取れなければ、

 

東大に通っているはずのこの僕の場所には、
他の誰かがいるだけなわけで、
僕は別に必要がないのか

 

となる。自然な発想だ。

 

まぁ、話を戻そう。

 

SNSでの薄いコミュニケーション、
表面的な恋愛心理学的駆け引き、
そう言ったものの先には、

恋は「みのりづらい」と僕は思う。

 

充足感を感じることが
できないのだ。

(一時的で、表面的なものは感じるけど)

 

ニーチェも、
意味のないところに
  意味を見出すことが大事
というような話をしている。

 

これと同じで、
一見すると不合理なところにこそ、
僕らが何とか人間でいれるための
ヒントが眠っているのかもしれない。

 

あなたにとって
本当に大事な人は誰ですか?

 

 

 

 

次回の記事 第10は、、、

 

familiano22.hatenablog.com

 

 

 

 

この文章、3年ぶりくらいに読んで、当時拗らせてた?って思いました。現場からは以上です。